「私が愛した池田大作・虚飾の王との50年」

  矢野絢也  講談社  平成22

 著者は、公明党の初代書記長を20年勤めた人。大阪府議から池田大作によって抜擢され、同じく東京都議だった竹入義勝委員長とコンビを組まされ、初期の公明党を運営した。現在は二人とも、公明党もやめ、創価学会も辞めてしまっている。この本は、創価学会を現状まで発展させた池田大作という人の、間近で見た人間像を描いたものであるが、よみ進めるうちに、これは毛沢東のことなのか、金正日のことなのか、ブレジネフのことなのか、と錯覚を覚えるくらい独裁権力者に共通したものを感じてしまう。創価学会は、思想集団であり、その価値基準は信仰の強靭さのみに求められるが、これがまさしく客観的なものではあり得ないのである。だから、人間のあくの強さのようなものが巾を利かせることになるのであろうか。極端に言えば、自分のライバルを衆人の前で、殴り倒すくらいの蛮勇をふるえる人間が勝ってしまうのである。衆人はその勢いに恐れおののき、擦り寄ってしまう。独裁者は、取り巻き連中を疑い、お互いを疑心暗鬼にさせ、その権力の保持をはかる。まさしく一将功成り万骨枯るの図である。そんな風に50年もその地位を保つのは並大抵の労力ではあるまい。これを読んでみると、どうして公明党が与党で居たがるのかがうなずける。それは、検察や国税などの政治権力から池田大作を守るというのが使命だからだという。うなずけてしまう。文化大革命の毛沢東は、自分の権力のためには、国民の大多数などどうなっても構わないと振舞ったではないか。金さんだとて、国民を楯に自分の地位を守ろうとしている。 まあ、かつての日本にも「国体護持」なんて言葉があったのだが。