「葬式は、要らない」

  島田裕巳  幻冬舎新書  平成2224

最近になって、一般的に葬式が簡素になってきている。経済的な不況もさることながら、その背景には、家制度が完全に崩壊し、「家」主宰の葬式から、個人主宰のものに変貌してきたことが上げられている。民法で「家」という制度が廃止されて60年にもなるが、実質的にはその制度の影響はつい最近まで残っていたといえよう。その制度の下で生活し、倫理感覚を築いてきた世代が残っていたからだ。大部分の人々がサラリーマンと成り、生計的に親のあとを継ぐということもなくなってしまったことも大いに影響しているのだろう。また、寿命の高齢化が進み、喪主が70歳近くになれば、親の葬式どころか、自分の老後生活の不安も拍車をかけてくる。喪主がすでに退職した場合には、葬儀の参列者も大幅に減少することになる。

さらには、喪主家と菩提寺とのつながりの希薄化も上げられよう。昔は、檀家は菩提寺の周りに住んでいた。逆に言えば、村のみんなが作った寺が菩提寺であった。檀家というのは語源的にはスポンサーのことである。それが、距離的にも、人間的にも離れた存在になってきている。いきおい、葬儀の布施なども儀式執行の対価という風に理解されるようになってきた。また、一昔前には、地域で葬式組というのがあって、葬儀の際の相互援助(葬儀の進行や、墓穴掘りまで)を執り行ったが、今はすべて葬儀社任せである。葬儀は、突然の儀式であるから殆ど考える前に、業者のペースに乗せられる。

そこで著者は、どうせ仏教徒ではないのだから、葬儀などは自分達でやってしまったらどうかというような提案をしている。戒名も欲しければ自分でつけようと。どうせ仏教徒ではないといってしまっていいものかは、ためらわれるところである。仏教というのはもともと、宗教で無いような面があるからである。まあ、仏教者の側にも反省すべき点は大いにあるとは思っている。