「風は山河より16巻」「古城の風景Ⅰ」

  宮城谷昌光  新潮文庫  平成22325

 

うちの寺に、梶田出雲守という戦国武将の位牌があり、近くにその墓がある。蜂須賀小六の同僚みたいで秀吉の下で働いたが、大名にはなれなかった。当地にも砦のようなものが在ったようで地名にも「北城」「南城」という名残がある。それは名前として残っているだけで、どんな生活をしていたのか想像の由もない。この小説と、古城の紀行はそんな時代のありようを生き生きと知らせてくれる。もっともそれは作者の創作に過ぎないのだが。

「風は・・・」の舞台は三河、野田というところ、その野田城の主、菅沼三代の物語。それに松平(徳川)の歴史も重ねて語られる。松平では清康から家康の時代である。それほど強大ではない野田の地は、今川についたり、松平についたり揺れに揺れる。風向きを見誤ると命取りになるからだ。武田軍に包囲され、いよいよ落城とおもわれるとき、武田軍が引き上げる。信玄が鉄砲で撃たれたという伝説の地だ。最後は長篠の戦い、もっともこれは本筋ではないので、ほとんど語られない。菅沼は背後の砦の攻略に駆り出されているのである。

この小説を読んで感じたこと。この時代はいたるところに砦があり、そこにひしめく侍どもが年がら年中殺し合いをしているということ。殺さなければ殺されるのだから、武家に生まれた以上、このクビキから逃れることは出来ない運命だったのだろう。警察権力のない状態で暴力団同士がしのぎを削っているようなものだ。これは安定した支配権力が出現するまで続けられるのである。お互いに疑心暗鬼なのである。兄弟や親子の殺し合いも珍しくない時代であった。

私は以前は、武士というのはその土地の農民が自分の土地を守るために武装したものであると思っていたが、どうもそうではないらしい。自分の土地を守るために武装した人間には、そんなに軽々と命のやり取りをする気風は生じないと思われるからである。そうした気風は、それを職業とする社会の文化であり、おそらく農民にはいくら武装を厳重にしたところで、そんな気風は生まれてこないと思われる。そういう文化を持つ特殊な階層が武士というものであろう。そして、それは関東に起源を持っているように思われる。三河の武士達も、かなり多くが関東にルーツを持っているようである。あの島津や毛利だって鎌倉以前は関東にいたのだという。頼朝が幕府を開くに関東を離れなかったのも頷けよう。

武士達は、自分の安全を図るのに、槍や刀以外あらゆる手段を使った。一番の方法は味方を増やすことである。血縁者が必ずしも味方というわけではないが、それでも直系の血族は一番信頼は置けるのであろう。この時代の武家はほとんどが政略結婚である。家康の実母の「お大の方」というのは織田方の水野家から松平広忠に嫁いだが、水野が広忠にあまりにしつこく織田方につくことを勧めたので、家康を生んだ後、水野家へ送り返されてしまう。こういう出戻り女もちゃんとリサイクルされて別のほうに嫁に出される。この辺は男も女も非常に合理的である。なにしろ、それは自分達の命がかかっているのだから。その再婚した「お大」の亭主を、ずっとのちに家康が家臣として迎えるのがなんとも面白い。実母の亭主なら信頼置けると判断したのであろうか。

もうひとつの同盟の手段は人質である。家康が今川の人質になっていたのは有名な話。人質は背信行為があると見せしめのために殺されたりするが、場合によっては、一枚恩を売るために命を助けられて、これが後に助けたものの命を救うことにもなる。まあ、嫁とりもある意味では人質といえないこともないだろう。この場合、子供が生まれることが普通の人質とは違う。

「古城の風景」はこうした舞台の取材記録のようなものか。去年「松平郷」を尋ねてきたので親近感を覚える。「夏草や 兵どもが 夢のあと」。

野田城の城跡を訪ねてみたくなった。桜が淵というのは、桜の名所だそうである。