「戦争の日本近現代史」

  加藤陽子  講談社現代新書  平成2220

 国民に大きな負担を貸すような政策には、相応の大儀名文というより、世間を納得させるだけの説得力ある理由が必要だろう。なんでそんなことをしなければならないかを、国民に説得できなければ、政府はその政策を実現できないのである。その政策が「戦争」 というような国の運命に関わるようなものなら、ひとつ間違えば政府の命運も尽きてしまうのである。アメリカがイラクのフセインを倒すにはテロ根絶という理由があった。国民の眼前で一瞬のうちに貿易センタービルを吹っ飛ばされれば、説得力は十分であっただろう。アフガニスタン戦争もり。古く南北戦争には奴隷解放という人道上の理由があったが、そんな理由で、北部の市民がよく賛成したものだ。また、アメリカが世界中に軍事基地を配置しているのには、昔なら「共産主義の脅威」という説得力があったのであろう。今は自由と民主主義の擁護なのだろうか。

 この本は、明治以後の日本がやってきた戦争について、為政者の論理、国内、国際世論などを示してくれる。そもそも、日本の対外戦争は朝鮮半島をめぐる関係から始まる。すなわち、朝鮮半島を、他所の帝国主義勢力の支配下に置かないことが、日本を防衛する生命線と考えられたということである。このように考えられた背景には、江戸時代から続いていた欧米列強の東洋進出、早い話アヘン戦争のような事態に対する恐怖心が有ったと考えられる。倒幕運動は、そのスローガンであった「尊皇攘夷」から「攘夷」をあっという間に放棄してしまった。放棄して夷国と通商を開くことになるのであるが、内心はビクビクで、そういう意味では攘夷の心は失われていなかったのではあるまいか。そこで日本の防衛ということについて考えれば、朝鮮半島を少なくとも中国を含めた列強の支配下に置かないことが肝要である。明治の当初、憲法とともにこのような考え方が持ち込まれ、世の支持を得たようである。(ただ、この時代、平民がお上の政治に関心を持つはずはなく、旧士族層だけだったろうか。)

 しかし、自分の思惑だけで世界を動かすことは出来ない、いずれの局面でも衝突は生じる。朝鮮の内乱に平定軍を出した清国と居留民などの保護を目的に派兵した日本。、日本はそのまま朝鮮の制度改革をもとめ、平定後も撤兵しなかった。その点について清国と悶着が生じる。国民に対して「日本が朝鮮を制度改革して近代化を図ってやろうというのに、清国は朝鮮を属国として妨害する」という宣伝がなされた。つまり文明と野蛮の戦争というわけである。士族や侠客までも義勇兵として多数が志願したそうで、一応の支持が得られていたようである。後になって、陸奥宗光が「本質はひっきょう、日本と清国の勢力争いであった」 といったそうである。

 そして、ロシアのアジア進出とともに、今度はロシアとの緊張が高まる。日露戦争の費用は当時の金で18億円。累進的に30200パーセントも増税され、国債も発行されます。薄氷の勝利の結果、講和条約では賠償金の話は一切出ませんでした。30億円くらいの賠償金が入ると思っていた日本国民は大いに落胆したそうです。ということから、戦争についてどのような世論が形成されていたか垣間見ることが出来そうです。

 以下、満州事変、太平洋戦争へと続いていきますが、省略。

政府の意図と、国民の世論は同じではないでしょう。鳩山首相は、普天間基地を「移設」とは言いますが「廃止」とは言いません。表向きの理由は「抑止力による平和」ということがあるからです。普天間はヘリコプターで移動する海兵隊の基地で、いまどきそんなものが抑止力になるとは思われません。抑止力になるのは、イラクで発揮されたコンピュータ化された空軍力でしょう。あっという間にイラクの地上最強といわれた戦車軍をやっつけましたね。もしかして(政治献金などの負い目のために)「抑止力」という表現でアメリカのヘリコプターメーカーの需要支援をしているだけなのではと考えてしまいます。もっと深く考えれば、このあたりに対戦を「抑止」するべき敵国は存在するのか。北朝鮮くらいなら今の自衛隊で十分では。それくらいの実力がないのなら、自衛隊に税金を使うのをやめたいものです。