「明治維新 1858-1881」
坂野潤治 大野健一 講談社現代新書 平成22年6月22日
どうして、明治維新という革命が成功したかという理由について、いろんな視点からの解明がなされている。1853年にペリー艦隊が来て以来、幕府の権威は失墜。幕府、何するものぞと云うことで、統幕の機運が一気に噴出した。しかし、ひとつ間違うと、国中の内乱になったり、列強の餌食にされたりということも考えれないことではなかった。それが、30年ほどの間に、一等国の仲間入りをしてしまうほどの成功を収めたのだから正に奇跡としか言いようがない、と述べられる。
明治維新といえば、坂本竜馬や、西郷、大久保、高杉晋作といった英雄的な志士たちの活躍も目を引くのであるが、それを成功に導いた、社会的な基礎があった。そしてそれを醸成した徳川治世三百年、というのは決して無駄ではなかったと。
①
まず最初にあげられるのが、指導者達の柔軟性。幕府を倒して権力を掌握した指導者達にとって、すべてが初体験。新撰組相手に刀を振り回していたような人たちが、明日からは、国民を食わせ列強諸国との交渉をこなしていかなければならない。倒幕の旗印であった「攘夷」をあっというまに引っ込めての「開国」。自分達の寄って立ってきた封建制度を、殿様の勘気を被りつつも、解体。西洋の真似だとはいえ「憲法の制定」、「議会制の設立」。やはり、指導者が若かったのでしょう。年長の西郷でも40歳になったばかり。大久保も40歳前。伊藤博文などは20台。自分の保身や利益を考えなくても良い人ばかり。倒幕派ではないが、勝海舟だって維新のときに45歳。それにしては今の政治家の年取っていること。
② こうした指導者達は、いわゆる雄藩で藩政改革の実施者たちであったこと。その改革に成功した藩が、統幕の中核になっている。改革は勿論、藩の体力増進に役立ったが、これを担当した、藩士の経営能力を鍛え上げた。ただ、こういうことも一直線に進んだわけではなく、それぞれの藩内において、穏健な開国派や、過激な攘夷派の対立があり、その絡み合いの中で柔軟な考え方が鍛えられていったのであろう。
③ そのほか、全国的に豊かに成り、国学なども豪農といわれる階層にまで普及して、尊王といった思想を受け入れやすくしていた。
④ などなど
別に、今の時代と比較してどうのというわけではないが、新しい時代の舵取りをするというのは、並大抵のことではなかろう。勿論、社会が変革を受け入れられるほど熟成していることも必要であり、また指導者の柔軟性とタフネスも要求される。命を惜しんでいては出来る仕事ではなかろう。
難しい本だった。