「お墓は、要らない」

  高橋繁行  学研新書  平成2229

 現代のお墓は、圧倒的に家墓といわれるものが多い。「・・家先祖代々之墓」と書いてある石塔である。大部分は、下部にカロートといわれる石室を持っており、そこへ火葬した遺骨を収納するようになっている。こういう形式の墓が多くなったのはそんなに古いことではない。ひとつは、江戸時代ほとんどの死者は土葬されていた。その埋葬墓地は、実質的には遺体の捨て場であって、そこに石塔を立てることは出来なかったからである。埋葬墓地は、棺おけを地中に埋葬したあと、土饅頭といわれる小さな塚を作り、そこに木製の墓標を立てただけのものである。そこは、何年かたった後、掘り返して次の死者を埋葬する場所なのであるから、恒久的な建造物は作れないのである。そこで日常的にお参りするため、別の場所に参り墓というものが作られ、こちらには戒名を刻んだ小さな石塔が立てられた。何も収納する必要がないから、目印になればいいのである。

 これが、今見られるような家墓になったのは、火葬の普及で、墓を「埋め墓」と「参り墓」のふたつ作る必要がなくなり、また遺骨を収納するためには、カロートを持った、ある程度の大きさが必要となって来たこと、そしてそれは故人ごとに作るには場所の制約が在ったことである。ということで、一番簡単には、家という単位で墓を作るのが合理的であったということである。また、家という単位は農地の所有単位であって個人を越えた共同体として、実質的な意味があったのである。

この家墓の慣習が最近になって崩れだした。その根本は生活様式が、農地単位ではなくなってしまったことであろう。親は尾張の農家でもその息子は、東京へ出てサラリーマンというのは珍しくない。親は、息子が定年を過ぎたら故郷に戻ってくるかもという期待を抱いているかもしれないが、関東で家を立て子育てを済ませた息子夫婦が、定年を過ぎたからといって、そう簡単には戻れないのは目に見えている。かくして、先祖伝来の墓のお守りは心もとない状況になって来るのである。親世代にしてみれば、墓の面倒を見てくれる人がいない、息子世代にとってみれば、入るべき墓がない、ということに奈留のである。

ここまで書けば、そのあとは明らかである。どうしても墓という目印が欲しければ、個人用の墓を求めることしかないのである。それも、あまり頑丈な形を残さない、樹木葬といわれるものか、集合墓(合祀墓)といわれるものにすることである。これなら当面は埋葬場所の目印になるし、面倒見てくれる人の心配をしなくて済むからである。あるいは、一部の寺で実施されている「お骨仏」「白骨観音」というような、粉砕した骨粉で仏像を作ってしまうことである。あまり、墓という形式にこだわらず、自然に戻りたいという人には散骨という方法もある。樹木葬とか合祀墓というのも、意外と費用がかかって何十万円という例もあるようであるが、それでも墓地を買い墓を作るよりは安いそうであるが、どうなんでしょうか。散骨でも業者に依頼すれば、舟のチャーター代など含めて三十万円もかかるのだという。この辺でどうだというのが著者の主張のようである。

しかし、翻って考えれば、火葬とはそもそも火力によって葬ること。遺体の大部分は、煙突から水蒸気と二酸化炭素のよって大気中に散逸しているのである。重量にして何十分の一くらいのカルシュームだけが遺骨として尊重されるのである。もっともこの名古屋周辺では、そのまた数分の一くらいを遺族が拾って帰り、残りは産業廃棄物として処理される。この持って帰って遺骨をどうするかがお墓の問題だとすれば、なにかおかしくないだろうか。

おおらかに、海へ流して太平洋がオレのお墓というくらいの気分でもいいのではないか。お釈迦様もそんな方法をお勧めになるのではないだろうか。海へ流すにしても、そこらへんの川原にそっと埋めておけば、いずれは海に行くのでしょう。川の魚と戯れるのも楽しいかも。