「知事抹殺 つくられた福島県汚職事件」
佐藤栄佐久 平凡社 平成23年6月20日
著者は、前の福島県知事。ダム建設をめぐり、親族の経営する会社の土地取引を装って収賄容疑で二審まで有罪判決を受け現在上告中。
それだけなら本にする価値もないような話だが、この知事がコトあるごとに原子力行政にタテつき、いわば国にとって目の上のタンコブ。そして、収賄の事実もかなり強引な解釈が必要となるような話。検察や司法はいったいそんなデッチ上げみたいなことをするんだろうか。国民の人権と正義をまもる機関ではなかったのかと言いたいところだが、昨年の厚生労働省の村木事件が思い出される。これは明らかに火のないところに放火して犯人に仕立てあげようとした検察の組織的犯罪だったようである。まあ、検察官も人間である以上、手柄を立てて出世したいと言う気持ちはあるのだろうが、その仕事が人を犯罪者に仕立て上げることだということで手柄となるのであれば、その勤務に熱心なことを素直に賞賛するわけにはいかない。慎重にも慎重を重ねてもらいたいものである。でも、人間、先入観を持ってゴールまでの道筋が見えてくると、多少の?というような反対の事実など見えなくなってしまうということもあるものです。でも、それは本当に正義の検察官とは言えないでしょう。自分の手柄を差し置いても、国民の権利を守ってくれなくては、なんのために国民の血税で高い給料をもらっているのでしょう。そして、それも政治家の番犬になっているのだとすれば、もうこれは犯罪としか言いようがありません。そうなれば検察は「出世」というエサで悪事をはたらく悪質な収賄者になってしまいます。
ところで、この著者。東大法学部の出身。青年会議書で活躍したあと参議院議員になりそのあと無所属で県知事に当選しています。無所属だったのは、自民党が建設官僚の候補者を擁したからであり、こうした点も著者を反中央の姿勢に置かせたものなのか。まあ、そこはよくわかりませんが、本人の記述はそうなっています。そして、それが国策捜査に結びついたのだと。こういう印象を読者に与えたかったのでしょう。
人は自分の失敗をなんとか取り繕って、正当化したくなるものです。自分はなんら間違っていなかったのに、・・が悪かったからああなってしまった。でも、本当は自分が少し欲張ったために、あるいは少し不注意だったために、とか自分が失敗の要因を作ったこともあるはずです。そんな自分の欠点には目をつぶりたくなるのも人情です。そして世間から見放されたくないと。そういう意味では、この本は著者の弁解なのでしょう。まだ自分に不利な書けない事実をいくつか隠しているような疑も残ります。
読後感は、検察も知事の主張もどちらも有りうる話、ということです。東京電力が鬱陶しい知事をやめさせるため、どこかに金を使ってでっち上げさせた、そのために身内の土地取引を「わいろ」と認定して有罪にしてしまった。という感じは強いのですが、この知事は選挙に金がかかってとても大変だったというようなことも言っています。そうすると、この人はそんなにしてまで何で知事がやりたいのだろうという疑問が出てきます。よほど正義の福島を実現したかったのか、あるいは知事として崇め奉られたかったのか。
かなり、きわどい本なので今回の福島原発の事故がなかったら読まなかったでしょう。また、出版社が平凡社でなかったら読まなかったかもしれません。