「昭和陸軍の軌跡-永田鉄山の構想とその分岐」

  川田稔  中公新書  平成24318

「昭和天皇」

  古川隆久  中公新書  平成24318

約一年ぶりの読書感想。なんだか、感想を書く事が自分の理解で本を矮小にしてしまうような気がして気後れがしていたからだ。本を読んでいなかったわけではない。

半藤一利の「昭和史」を読んでから、この種のテーマに視線が向き、似たような本を沢山読みました。中でも圧巻だったのは、松本清張の「昭和史発掘」。満洲某重大事件から始まって、芥川の自殺やら、太宰治などいろいろ書いてあったが、九巻の半分は「2.26事件」の解明であった。よくぞここまで調べ上げたものだと感服。何かの事件が起こった時の、周辺にいる者たちの対応の仕方。多くのものが風見鶏になって、風向きだけを観測している。そのへんのドラマより余程ドラマ的だ。

そんな、昭和史を読み進んでも、あんな戦争がどうして起こされたのか、どうしても疑問が晴れなかった。

「陸軍・・」は、ひとことで言ってしまえば、軍が政党化してしまったという話。そもそもは、若手エリート軍人たちが、長州閥に対抗した組織を作ったことに始まる。永田とか、小畑という超エリート軍人がドイツのバーデン・バーデンというところで密会したのが始まり。これが、陸軍を政治団体化させた主要な原因だと思われるがどうだろうか。優秀な能力を持つ若い集団に、戦術の研究以外に興味を持つなというのは無理な話だろうが、とにかく彼らはこうして政治づいてしまった。あとは、どんどん思いついた政策を実行していくのみ。運の悪いというか、当時日本には日露戦争で勝ち取った満洲の利権があった。それを守るために派遣されていたのが当初1万の関東軍である。これが、遠隔の地であることを幸いに、中央の指示に従わず勝手放題を始める。既成事実を作ってしまうのだ。満州事変を起こして、朝鮮軍に応援を頼む。軍中央は動くなという指示を出すが、結局現地司令官の独断で越境してしまう。本来なら、天皇の軍隊を命令を待たずに動かしたのであるから、死刑に値する犯罪。なんだ、かんだ言っているうちに、うまく行きそうな状況から黙認されてしまう。おまけに、議会や政府が軍事に口を出すことは「統帥権の干犯」だということで封じ込められてしまう。「統帥権の干犯」とは、そもそも作戦上のことにはよそから口をはさむなという程度のことで、軍事政策については本来は政府の管掌事項であったものが、いつの間にか拡大解釈されてしまったものらしい。ロンドン軍縮会議の折、政府が対英米の軍艦の保有比率を、海軍軍令部の意見を聞かずに決めてしまったことに対する、野党からの主張であったそうな。

この一部軍人たちの構想は、満州の利権保持にとどまらず、だんだんと拡大してゆく。それは、仮想敵国としてのソ連との戦いの準備であったものか。現地指揮官の勲章欲しさの跳ねっ返りであったものか。ここでいう軍人とは兵隊にあらず、陸大でのエリートたちのことである。彼らは自分の手柄のために、徴収された農家の二男、三男という兵隊をあたかも将棋のコマのように考えているのだ。その中心となっていたのが、永田鉄山軍務局長。現場、関東軍で直接の指揮をしたのが石原莞爾。永田は反対派の中佐のために斬殺されるが、結局政党化の傾向は止まらず、軍人が政治を引っ張る、自分たちの立てた軍事国家を実現するために。

結果は、ご承知のように国の破滅で終わる。国は滅びても、政党は死なない。国民をたてに本土決戦まで企む奴らがいたのだ。一般の政党なら、社会主義やファシズムの国は別として、議会という場で反対等の糾弾を受ける仕組みになっている。それが軍という組織では、基本事項はほんの数人の言わば仲良しグループで決められてしまう。一番のポイントは矢張り、高級軍人の人事権を掌握することだったのだろう。それは、そもそも統帥事項ではなかったはずなのだが。権力の乱用はとても美味しかったのか。そして、統帥権の帰属は天皇にあるので、すべての命令が「天皇陛下・・」に帰せられてしまう。ところが、その高級軍人たちは天皇を命令の権威付に使っただけで、自分たちは天皇が神様でないどころか、騙しや脅しをかける相手と考えていたフシさえあるのである。天皇陛下のオン為に命を捨てた兵隊たちが真相を知ったら何といって泣くだろう。

       ―――― 以上、 昭和陸軍 ―――――

「昭和天皇」は、文字通り、昭和天皇についての研究書。皇太子時代の教育の記録から始まって、戦後、死に至るまでの記録。教育は、どんな講義をしたかの記録まで残っているのだそうだ。後見役を務めたのは、元老の西園寺公望なのだろう。その教育方針とは、「世界中のどこに出しても恥ずかしくない国家元首」に育てること。憲法学から、生物学まで。憲法学では、かなり右翼的な学者だったそうだが、右の教育方針を受け入れて、立憲主義の授業をしたとか。その中身は、後で問題になる美濃部達吉の天皇機関説とほぼ同じものだったとか。このためか、「機関説」問題が立ち起こったとき天皇は「自分は美濃部の説でいいと思う」と述べられたという。

なかなかの熱血漢だったようで、政治家や軍部のやることについて、文句が言いたくて仕方がなかったらしい。しかし、立憲君主という立場上、思ったことをすぐ口に出すことは禁止されており、そのつど、西園寺や、牧野、木戸といった側近に相談していたとのこと。たいていは、「それは、ちょっと」という形で差し止められ、歯噛みしていたようだ。戦争の拡大には、常に反対していたようであるが、最後の戦争にやむを得ず裁可したあとで、戦況が好転すると結構ご機嫌だったというのは、何となく人間味のある姿である。

終戦後は、死ぬまで戦争責任の自責の感情は離れられなかったようである。いかに立憲君主とはいえ、憲法上は主権者たる地位を保証された唯一の人間である。御前会議の時にでも、命を張って開戦派を押さえつければ、開戦には至らなかっとも思われるからである。また、現場の独断専行を参謀本部などが追認してしまったので、どうしようもなかったと言われるが、それでもその追認をひっくり返すだけの権能が天皇にはあったと思われるがどうであろうか。天皇が、血相を変えて怒鳴りつければ、いかに好戦派の軍人といえども、何もできなかったのではないだろうか。何しろ「大元帥陛下」だったのである。それができなかったのは、立憲君主としての躾が行き届きすぎていたためか、はたまた軍部が怖かったのだろうか。 2・26事件のとき、陸軍中枢が何もできない状況で「自分が討伐に行く」と行っていることを見ると、矢張り前者だったのだろうか。

天皇や皇族は我々が思うより、よほどストレスの溜まるポストのようである。生まれた時から、そういう覚悟でそういう教育を受けたものでなければ到底務まらないであろう。大正天皇は元来、明るくて健康な人だったようであるが、ストレスでおかしくなってしまったらしい。また、最近では、雅子さまや美智子皇后などもストレスで大変な思いをされているらしい。その昔、天皇の外戚になりたかった人も居たようだが、今の時代では考えられないこと。次の次の天皇は果たして配偶者を迎えることが出来るのだろうか。自民党が、「天皇を国家元首に」と言っているそうだが、笑わせるな。それだけでも政権担当能力はないことの証だ。今までは、官僚におんぶしていたのでやってこられただけだ。政治主導のつもりなんだろうが、民主党を見て反面教師にしなければという気がないのだろうか。

―――― 以上、 昭和天皇 ――――

二冊とも、とても面白かった。この種の本は、得てして書き手の思い込みで書かれることが多いようであるが、この二冊とも学者の研究書であり、殆ど主観を離れて書いてあるようで好感が持てた。