「戦後史の正体」
孫崎享 創元社 平成24年9月19日
著者は元、外務省国際情報局長、イラン大使、防衛大学校教授。
昔、村山富市さんが社会党と自民党の連立で首相に就任したことがある。自民党が野党だった時に、小沢一郎の策略で連立与党から捨てられた社会党を抱き込んで、与党に復帰したことがある。その見返りに社会党に総理の座を明け渡したのである。自民党にしてみれば、名を捨てて実をとったということだろう。その村山さんの就任演説を聞いて国民は皆びっくりした。なんと「安保は堅持します。」が第一声だったのだ。それまでの社会党は安保反対で凝り固まっていたのだから・・。 その就任前、村山さんは自民党の橋本総裁から何時間にもわたって説得され続けている。何しろ村山は総理大臣になりたくなかったのだから。「総理をやるくらいなら議員をやめて大分に帰る」と言ったそうだ。
その「安保堅持」の演説を聞きながら、ふと思ったことがある。日本の総理大臣にはアメリカに絶対に逆らわないという密約が有るのではないかと。橋本は村山に総理就任の説得と合わせてこの密約を伝えたのではないか・・・。極端に言えば「安保反対などといえばあなたはアメリカに殺されますよ。それが日本の首相の宿命なんです」とか。
この本は、アメリカと日本の戦後政治の力学を述べたものである。曰く、アメリカは日本を盟友ともなんとも思っていない。ただ自分の国の利益になるように日本をおだてたり恫喝したりするだけである。日本はアメリカにとってあるときは飛車になりあるときは「歩」になる。もちろん「王」はアメリカだ。敗戦直後は、アメリカは日本を二度と戦争のできない国にするというのが目標だった。日本人の生活水準は、かつて日本が占領していたどの国よりも上に出ることは許さないというほどのものだった。憲法九条というのはこの方針で押し付けられたものである。ただ、それは軍国主義の被害者だった国民には新鮮な理想に映ったのだろう。占領当時国家予算の三割ほどを米軍の駐留費負担させられたという。この段階で重光葵と芦田首相がアメリカに排除されている。公職追放だとか疑獄事件によって。彼らはアメリカに対して日本の国益を主張する不逞の政治家だったのだろう。その重光が言った言葉「俺のようにアメリカに逆らえば、切られる。でもあとに続く者たちが次から次へと同じ態度を取ればアメリカもそのうち諦める」。でも結局はそれはできない。なぜなら、そう言う自主独立派が失脚させられると、そのあとには対米追随派が出てきてしまうからだ。と、まあこんな調子で話は続いていく。
対米追随派は、吉田茂を筆頭に池田勇人、大平正芳、小泉純一郎など。自主独立派は、石橋湛山、岸信介、佐藤栄作、田中角栄、鈴木善幸、小沢一郎、鳩山由紀夫などなど。吉田茂という人は、傲慢でアメリカにでもズケズケと物を言う人のように国民には見えたらしいが、本当は帝国ホテルのGHQの高官に、夜裏階段を使って相談に行くほど従属的であったという。その吉田が、サンフランシスコの講和の日に第六軍下士官会館というところで、たったひとりで署名したのが、最初の安全保障条約だった。その中身は、すべて行政協定に委ねるという白紙委任の条約で、、まあアメリカの言うがままという内容だった。その屈辱的な条約を少しでも日本の国益に沿うようにと改訂したのが岸信介。彼は冷戦のおかげで絞首刑を免れた戦争犯罪人だったが、アメリカ一辺倒ではなかった。これはなかなかの驚きである。
興味深いのは田中角栄。彼はアメリカの制止を振り切って中国と国交を結んでしまう。(アメリカはニクソンの訪中こそ日本より先だったが、議会の反対で対中国交正常化はできなかった)。それがアメリカの不評を買い失脚させられてしまう。ロッキード事件はアメリカで書類の誤配送から発覚したものだというがそんなことがありうるのか。追随派の三木が「司法取引」まで使って角栄追い落としに協力したという。
こんな具合に数え上げればきりがないほど出てくるアメリカの影。どこまでが本当でどこからが嘘かはわからないが、基本的にはアメリカの対外政策もアメリカの国益や大統領の政治生命のために行使されているものだということは揺るがないだろう。アメリカの駒にされるのは日本には限らず、韓国などもそうである。
ただ、カナダ(とくにピアソン首相はジョンソンに腕をねじ上げられても北爆反対を通した)は立派だったというから、全く歯が立たないわけではないだろう。それには勇気と忍耐と国民の協力が必要なのだろう。